新型コロナの"指定感染症"延長へ。

背景には2021年へ延期された東京五輪の存在か。

日本国内で混乱が始まった2月後半からの動きを振り返ると、それは明らかです。

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(2020年11月28日:時事通信社オンライン配信記事より)

今年2月24日以前までは、政府としては特に自粛を求めているわけではないというスタンスでした。

ところがその翌日の2月25日、IOC古参委員が「5月までにコロナが終息しなければ東京五輪は中止か延期」と発言したことが日本でも報じられました。

更に1日後の2月26日からのイベント中止・縮小・自粛要請や全国一斉休校要請など日本政府の動き

政府や東京都は"五輪中止"を何としても避けたいがために、これまでIOCや国際世論にパフォーマンスを図ってきたのは明らかです。

もっと簡単に言えば政府の面子、安倍首相(当時)のレガシーのためということです。

五輪の政治利用、スポーツの私物化。
これは現在の菅内閣でも踏襲されています。

春の段階なら五輪中止阻止のためのPCR検査やコロナ陽性者の抑制。

現在は社会経済活動と感染症対策を両立しているというパフォーマンスの段階。

そのためGoToキャンペーンを実施しながら、イベント制限や指定感染症継続という、矛盾したことを同時に行っているのでしょう。

これぞまさに、アクセルとブレーキを同時に踏む。
あるいは暖房と冷房を同時にかけるようなものです。

少し話が逸れましたが、3月以降、どれだけの催物が中止になったか、とても数えきれません。

ライブやコンサートなど3月以降は殆ど出来ていないはずです。

三密を避けようなんて言われていますが、これらの業界は観客をたくさん入れられなければ商売になりません。

一方、2021年への五輪延期が決まるまで、"三密"招くはずのマラソンや聖火リレーといった五輪関連行事は強行されました。

この時点であらゆる催物に自粛・中止・縮小要請が政府から出されていましたが、五輪だけは特別なのでしょうか?

五輪をやりたいがために五輪に関係の無いものを次々と中止に追い込んだり、あらゆるもの我慢を用いるのは、まさに「欲しがりません。勝つまでは!

コロナ騒動が無くても、ボランティアという名の強制労働者を生み出すのは、学徒動員そのもの。
戦時中の発想と全く変わりません。
平成・令和版徴兵制です。

2009年にパンデミックを起こしたメキシコ起源の新型インフルエンザ(H1N1)は、前年夏の北京五輪を終えた後でした。

五輪さえ控えてなければ、日本国内では今回のような大騒動や影響長期化には至らなかったと考えられます。

五輪に関しては様々なうわさが流れています。

11月10日から五輪チケットの払い戻しが始まり、11月15日にIOCのバッハ会長が来日し、16日に記者会見が行われました。

このご時世でオンライン会議や会見ではなく来日。

11月16日に政府・都の要人との会談や五輪組織委員との会議、その後に記者会見が予定されているとのことで、この日の会見で公式に中止を表明するのでは?という予想の声も聞かれました。

実際に記者会見では開催に向けての希望的観測は述べていましたが、開催可否やその決定のリミットについては述べていません。

やるのかやらないのか、早急にはっきりしてもらいたいものです。

日本において新型コロナは"風邪"程度。

ただし全世界となると話は別です。
衛生環境や医療水準なども国それぞれでしょう。

五輪に繋がる予選会も各国では殆ど行われておらず、欧州では感染が爆発するなどし、再ロックダウンに入った国も出てきました。

とても世界中を自由に往来できる状況ではありません。

選手選考も出来ず、世界の往来が自由になる見通しも立たないとなると、まず"五輪"としては不成立。

我々庶民も"五輪"という金儲けの祭典にいつまでも付き合っていられません。