コロナ騒動が始まって2年近くが経ちますが、ずっとシャッターが閉じたまま。
シャッターが開く日は来るのでしょうか。



鹿児島県鹿児島市城山と桜島の古里地区にある林芙美子記念公園内の土産店の光景です。
写真の通り店舗のシャッターが閉じています。

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(2022年2月20日:鹿児島県鹿児島市城山展望台付近にて撮影)

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(2022年2月19日:鹿児島県鹿児島市古里地区にて撮影)

2020年6月以降、最初の緊急事態宣言と移動自粛要請が解除されてから何度か同じ場所を訪れていますが、殆ど同じ光景を目にしています。

たまたま筆者が訪れた日が全て休業日だったのか、それともいわゆる"コロナ休業"や"コロナ倒産"なのか、実態は分かりません。

ただ、この2年間、言うまでもありませんが旅行、観光、宿泊業界辺りは壊滅的でしょう。

2月20日をもって閉幕した北京五輪2022大会。

日本人選手のメダルラッシュに沸きましたが、昨夏の東京大会と今冬の北京大会で、メダルをたくさん獲得したことで我々庶民の生活は良くなったでしょうか?

昨夏の東京大会の開幕前、五輪の開催意義として、

・「コロナに打ち勝った証」

・「日本人選手のメダル獲得などの感動を共有し、日本人同士の絆を確かめ合う」

・「世界の団結の象徴」

・「子どもと若者に夢や希望を与える」


というようなことが度々言われました。
しかし実際はどうでしょう?

日本人同士の絆という点では、当たり前ですが人は皆、価値観や考え方が違います。

五輪関係なら、五輪崇拝主義を押し付けたことで、むしろ賛成派と反対派で完全分断されてしまいました。

五輪ファーストの政治によって庶民の生活、庶民の日常が消されたとさえ感じています。
これは中国・北京の庶民も同じでしょう。

御上はコロナを理由にあれもダメ、これもダメと言っておきながら、五輪や五輪関連行事は強行しているわけですから。

マンボウや緊急事態宣言、自粛・中止要請など根拠はなく、もはや狼少年ですね。

次に子どもや若者が街中でシャッターが閉じたままの光景を見て希望を感じられるのか。
少なくとも筆者はそのようには感じられません。
自助が基本なので、収入が無くなれば永久休業を余儀なくされる、ということだけを感じます。

世界の団結と言う点では、どんな形であれ五輪が開催されれば新型コロナウイルスが消滅し、ウクライナ情勢や中国の人権問題などは解決するのか。

筆者のようなしがない庶民は、楽観的に考えることは出来ません。

北海道・札幌に2030年の冬季五輪を招致する動きが見られます。
筆者はアスリートや競技自体を批判するつもりは一切ありません。

一方、日本人も五輪の幻想から目を覚ます必要があるのではないか?

そして五輪崇拝主義やメダル至上主義について、今一度見直さなければいけないのではないか?と感じる今日この頃であります。