しがない庶民の独り言

どこにでも居るしがない庶民。 日々の気付きや出来事、訪問記、時事問題などをぼやく。

#北方領土

安全・人命よりも目先の利益

「だろう」ではなく「かもしれない」。車の安全運転でよく言われることです。

天気が崩れる予想や船、事務所の整備状況などから「まずいかもしれない」という考えに至れば、知床観光船の遭難事故は防げたはずです。

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(2022年4月27日:共同通信社配信記事にて)



事務所の無線が壊れていることに気付かなかったとか、船体の傷を見て見ぬふり。

船長が大丈夫だと言うから出航を決めたとか、観光客から出航の要望があったとか、知床遊覧船社長の言い訳だらけの会見が27日夕方に行われましたが、まったく理由になっていません。

とにかく人や物、天気などのせいにして、自分は責任逃れしようという姿勢だけが透けて見えた不愉快な会見で腹が立ち、途中で見るのを止めてしまいました。

時間が経つにつれ天候が悪くなることを認識していて、かつ同業他社や地元漁師の忠告に耳を傾けず出航させ、今回の大惨事に至ったのは、安全・人命よりも目先の利益を優先した結果です。

一部でコロナ騒動の長期化による資金繰りの悪化に言及する報道が見られましたが、そんなことはどの業界・会社も一緒。

こういう会社はコロナの有無に関わらず、「これくらいなら大丈夫だろう」「バレないだろう」を積み重ね、別の形で大事故を起こしていたでしょう。

観光客は当然、運航会社も船長も海と船のプロと思っています。
よほどの情報通か業界人などでない限り、我々一般客は危険な運航会社だとか、船長が素人であると言うことを知る由はありません。

今回の事故は間違いなく"人災"。
自然を甘く見て、出航させた社長に責任があります。

【関連記事】

事の重大性を分かっているのか?

4月23日午後に発生した北海道・知床半島沖での観光船の遭難事故。
非常に心が痛みます。
また運航会社の「知床遊覧船」に強い憤りを感じます。

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(2022年4月27日:共同通信社配信記事にて)



犠牲になられた方のご冥福を、行方不明となっている方の1日も早く救出されることをお祈りいたします。

この観光船には乗客乗員26人が乗っていて、現時点で子供を含む11名の方が犠牲となり、残る15名の方が今も行方不明となっています。

4月27日夕方から、知床遊覧船の桂田社長の記者会見が行われています。
冒頭で土下座して「お騒がせして申し訳ありません」と発言していましたが、この社長は事の重大性を分かっているのでしょうか?

「いけると思った」。その結果、観光客の命、残された家族の日常を奪いました。
安全・人命よりも自分たちの目先の利益を優先した結果です。

知床半島の先端から14.5km離れた海域で見つかった子どものお父さん(現在も奥様と共に行方不明)は、今回の北海道旅行で知床へ向かう途中に撮影した鹿の写真をブログに投稿していたとのこと。

筆者も県外へ出かけることが多く、船に乗る機会もあります。
その光景をブログで投稿することもあるので、他人事とは思えないのです。

観光客からすれば当然、運航会社も船長も海と船のプロと思っているはず。
よほどの情報通か業界人などでない限り、我々一般客は危険な運航会社だと知る由はありません。

そして観光業への風評被害を生じさせました。
特に観光船を使ったものは敬遠され、廃業を余儀なくされる事業者も出てくるでしょう。

それに加え、ロシアとの外交事案に発展しかねない状況を作ってしまいました。
先述の子どもが見つかった海域は、ロシアが実効支配する海域の一歩手前の地点。

観光船や安否不明者が日本とロシアの中間線を超え、ロシアが支配する国後島側や択捉島側の海域に流されている可能性もあります。

日本の海上保安庁は安否不明者の捜索に関し、中間線を超える可能性があることをロシアに通知し、了承を得たという報道もありますが、中間線を超えた捜索は高度な外交が求められそうです。

会見前から、

「私(社長)は行けるだろうと思った」
「船の傷のことは知らなかった」
「出航は船長の独断」

など、色んな言い訳が報じられてきました。

27日夕方の桂田社長の会見を途中までテレビで見ていましたが、腹が立ったので消しました。

「天気予報のせい」
「船長のせい」
「出航してほしいと言った客のせい」
「私は悪くない!」

と桂田社長は言いたいのでしょう。
小学生でも出来る言い訳ですが、経営者以前に人間失格。
どんなことをしても犠牲になった方はもう帰って来ません。
一生、償いなさい。

【独り言】どうなる?北方四島の今後

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(5枚共に2019年2月10日:横浜市西区・横浜駅相鉄線2階改札口付近にて撮影)

今年も2月7日に北方領土の日を迎えましたが、最近、また北方四島に関する話題や報道をネット上などで多く見るようになりました。

今年の北方領土返還要求全国大会から、ロシアを刺激しないための配慮なのか、アピールで昨年まで使われてきた「北方四島が不法に占拠され」という表現を使わなくなり、政府見解も北方領土はロシアとの今後の交渉に支障をきたす可能性があるとの理由で「北方四島はわが国固有の領土」という表現を避け、「我が国が主権を有する島々」という曖昧な表現を使うようになりました。

筆者は政治家や専門家、評論家ではないので、領有権がどうかとか、返還される見込みがどうかなどと言った政治的な主張や見解は当ブログでは差し控えさせて頂きます。

しかし、政府がまず返還交渉をしようとしている二島(歯舞群島・色丹島)がもし仮に返還されたとして、果たしてそこに移住する日本人が居るのでしょうか。

行き過ぎとも言える東京一極集中が進み、更にそれが加速している現状で、どれだけの人が移住やUターンを考えるのか、また、平均年齢が83歳を超えるとされている元島民の方が帰郷するとなると、高齢の方が耐えられるような生活・自然環境なのか、疑問や懸念の方が浮かび上がってしまいます。
それから少子高齢化で特に人口減少が進み、経済も弱いであろう北海道でどうやって維持・管理していくのかという問題も出て来そうな気がします。

ただ、そうは言ってもやはり北方四島は日本の領土であり、今後の交渉の行方は注目したいところです。

【訪問記】北方四島、果たしてどうなる??(2014.04.30)

今月19日、突然騒動となった日産のゴーン容疑者逮捕によって逆に北海道の北方四島に関する報道が少なくなってしまった感じがしますが、個人的には気になる北方四島の動向。

政府は2島先行返還論に舵を切ったような印象も正直、拭えないのですが、果たしてどうなることでしょうか。

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(写真2~4枚目は2014年4月30日:北海道根室市納沙布岬にて撮影)

過去の記事にも書きましたが、千島列島のうち、国際的な決まりで歯舞、色丹、国後、択捉の4島はロシア領(旧ソ連)となったことは一度も無いので、日本固有の領土であることは明らかです。
ただ、戦後70年以上経過した今でも1島すら返還されていない現実を考えると、2島でも返還され、残りの2島もアクセスを大幅に強化することが出来れば、これは歴史的なことだと思います。

ただ、今後の日露交渉で何らかの進展があり、北方四島のうち、例えば仮に歯舞・色丹の2島が返還されて、主権も日本に移ったとして、そこに移住、もしくは帰郷する日本人が居るのでしょうか。
北方四島に住まわれていた方も、平均年齢が80歳越えと高齢化が進行しています。

もちろん歯舞、色丹の2島すら簡単に返還されない可能性もありそうですし、国内ではウルップ島から北の千島列島全てが日本固有の領土であり、返還を要求するという立場の方や政党も存在します。
一方、現実には北方四島にロシア人が定住し、その子孫まで居ることを考えると、どのような方向に進んでも色々な問題や不満が噴出しそうです。

【雑記】「千島列島」の範囲とは?物事の解釈は難しい

本日の記事も北方領土(北方四島)に関する話題です。

今、報道が増えている北方領土に関すること、特に第2次世界大戦後、ロシア(旧ソ連)に占領されてからのことは、社会科や歴史の授業ではあまり詳しく教えてくれなかったような気がします。

11月15日投稿の記事【訪問記】北海道庁旧本庁舎で北方領土について学ぶ【2018.11.14】にて、札幌にある北海道庁旧本庁舎(赤レンガ)を訪れ、その中に開設されている北方領土館を見学させて頂いたことを投稿しましたが、北海道の小中学校の授業で使用されている北方領土学習資料も展示されていて、無料で配布されていたので頂くことにしました。

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1855年の日露通好条約をはじめとした国際的な決まりや、北方四島の地名や生態系、1945年当時に住んでいた島民の人口、島民が居住していた時代の写真などが載っています。

国後・択捉の二島も1855年の日露通好条約以降、国境が択捉島と得撫島の中間になったことで日本領となりました。
1875年の樺太千島交換条約からは樺太がロシア領となる代わりに、得撫島から北の千島列島全て(カムチャッカ半島の南まで)が日本領と決まりました。
その後、1904年に日露戦争が起き、1905年のポーツマス条約で、樺太の南半分が日本の領土になりました。ここまでは中学生の頃だったと思いますが、授業で教わった記憶があります。

第2次世界大戦後、北方領土がロシア(旧ソ連)に占領され、1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は平和条約に調印し、樺太の南半分と千島列島を放棄したとありますが、歯舞群島と色丹島はそもそも千島列島から外れていますし、残る国後・択捉も、日本領から外れたり、ロシア領となる根拠や国際的な決まりは現在も過去も存在しません。

ただ、「千島列島」の範囲とは、何処から何処までなんだろう?と感じます。物事の解釈は難しいですね。