しがない庶民の独り言

どこにでも居るしがない庶民。 日々の気付きや出来事、訪問記、神奈川暮らし、時事問題などをぼやく。 神奈川の映えスポットやグルメなども時折掲載。

#宮城県

南三陸町震災復興祈念公園へ

南三陸さんさん商店街を見学後、次は隣接する南三陸町震災復興祈念公園へ足を運びます。
高台から街の様子や志津川湾を一望することが出来ます。



辺り一面、芝生が広がっています。

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高台から陸の方を眺めてみます。

写真中央付近に写っている黒い建物が現在整備中の南三陸町道の駅。
東日本大震災の伝承施設「南三陸311メモリアル」も併設の上、記事執筆時点では2022年10月に開業予定となっているそうです。

写真右側に写っているのが南三陸町旧防災対策庁舎(手前)と南三陸さんさん商店街(奥)。
旧防災対策庁舎は津波に飲み込まれ、階段と骨組み、アンテナが残るだけの無残な状態です。

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慰霊碑の向こうには志津川湾が見えます。
この日は最高気温が35度まで上がる厳しい暑さでしたが、青い海から吹いてくる海風が心地よく感じました。

(2022年7月3日:宮城県南三陸町志津川地区にて撮影)

南三陸さんさん商店街を訪問

前回の続きです。
JR気仙沼線のBRTに揺られ、南三陸町の志津川を訪れました。



志津川へは2015年6月以来、約7年ぶりの訪問です。

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気仙沼線BRT志津川駅の様子です。
残念ながら鉄道の駅としては廃止され、やって来るのはバスです。
ここからBRTと南三陸町町民バス、高速バスの仙台-南三陸線が発着しています。

尚、気仙沼線BRTは2015年6月27日から、一部の便が前谷地まで延伸されています。

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志津川駅から近い南三陸さんさん商店街の様子です。

東日本大震災発生からおよそ1年後の2012年2月末に仮設商店街として開業。
2017年3月から嵩上げされた新市街地(旧防災対策庁舎寄りの方)に移転の上、本設商店街として開業しました。

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商店街に設置されているモアイ像。
東日本大震災後、チリ・イースター島から贈呈されたものとのこと。

商店街、そして我々人間を見守ってくれているように感じます。

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三陸と言えばやはり食べたくなるのは海鮮料理。
今回は弁慶鮨様で鮭いくら丼を頂きました。

この後は商店街に隣接する南三陸町震災復興祈念公園や旧防災対策庁舎を見学します。

※続きは次号以降で。

(2022年7月3日:宮城県南三陸町志津川地区にて撮影)

JR気仙沼線の不通区間廃止後・・・

2011年3月11日の東日本大震災で被災したJR気仙沼線。
柳津~気仙沼間が長期間不通となっていましたが、2020年4月1日に鉄道としては廃止。



大震災の翌年に暫定的に運行開始されたバス・ラピット・トランジット(BRT)に1本化されています。
今月上旬、筆者は鉄道廃止後の現状を見てきました。

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JR気仙沼線の鉄道としての終点となっている柳津駅(宮城県・登米市)の様子です。
信号機や線路など、鉄道の運行に必要なものが撤去され、BRT用の道路として整備。
駅のホームも2番線が廃止され、1番線のみとなっています。

廃止が決定する前にも何度か訪れていますが、その時点ではまだ線路や信号機が残っていました。
気仙沼方面の信号機は赤(停止)信号。
停止信号を見たとき、非常に虚しくなったことを思い出します。

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柳津駅の駅名標も「陸前横山」の表記が消されています。
こういった所でも鉄道としては廃止になってしまったことを実感します。

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柳津駅からはBRTに乗車し、南三陸町方面へ向かうことにします。
登米市と気仙沼市を結ぶ貴重な足となっていて、この日も多くの方が乗車されていました。

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南三陸町に入ると、BRTの車窓から雄大な志津川湾を臨むことが出来ます。
この日は快晴で空気も澄んでおり、青く透き通るような海が奇麗でした。

※続きは次号以降へ。

(2022年7月3日:宮城県登米市柳津・南三陸町にて撮影)

【関連記事】




【宮城県女川町】東日本大震災の被災地を訪問(2018.03.04)

2018年3月4日。
この日は宮城県女川町を訪問しました。



同町の訪問は2014年12月以来、およそ3年ぶりのことでした。

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前回訪問時、石巻線の最後の2.3キロ区間とも言われていた浦宿~女川間がまだ不通でしたが、東日本大震災から4年後の2015年3月21日に運転再開となり、筆者は初めてこの区間を乗車しました。

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女川駅も内陸側へ約200メートルへ移動した上で、温泉温浴施設も合築された新駅舎として開業。

同年12月には女川駅前にテナント型商業施設「シーパルピア女川」が開業し、観光客や地元の方など、多くの方で賑わう活気ある場所となっています。

因みに2014年12月の訪問時は、下の画像のような状況でした。

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この時点ではまだ石巻線、浦宿~女川間が不通でした。

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女川駅があったと思われる周辺の写真です。
一部の大きい頑丈な建物以外、殆どが流出してしまい、どこに何の建物があったのか、そもそも駅はどこにあったのかも殆ど分からない状況でした。

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女川運動公園バス停に女川駅のバス停も併設され、女川駅発着の路線バスはこの地点が発着点になっていました。

話を今年3月4日のことに戻しますが、商店街から少し離れた所を散策してみると更地になっている箇所(=大津波で建物が殆ど流出してしまったと思われる箇所)や、大津波により倒壊してそのままの状態となっている建物も散見されます。

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交番だった建物(旧女川交番)が完全に倒れている光景も。
震災遺構として保存が決まっているそうです。

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一方、当日の天気は快晴で、女川湾で釣りを楽しんでいる方もいらっしゃいました。

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フェリー乗り場の光景です。ここから金華山や出島、江島、寺間島へ行くフェリーが出ています。
何とか機会を作り、宮城県の離島も足を運んでみたいところです。

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お昼は明神丸さんでいくら丼を頂きました。
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女川温泉ゆぽっぽ内の掲示にて。
東日本大震災から3日後に石巻日日新聞が作成した手書きの新聞だそうです。
新聞社も被災し、電気・機械も使えない状況の中、残っていた紙とペンで作られたとのこと。
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この記事を見るといかに状況が逼迫していたかと言う事が読み取れます。

次の日曜日で東日本大震災の発生から7年を迎えます。
今回の女川町や、前回記事の名取市・仙台空港周辺は東日本大震災の被災地のごく一部であり、今でも多くの方が苦労されているはずです。

最近は報道も少なくなりましたが、死者・行方不明者合わせて約2万人と言う戦後最悪の自然災害。
このまま風化させてはいけない、筆者はそう考えます。