しがない庶民の独り言

どこにでも居るしがない庶民。 日々の気付きや出来事、訪問記、神奈川暮らし、時事問題などをぼやく。 神奈川の映えスポットやグルメなども時折掲載。

#東北地方太平洋沖地震

南三陸町震災復興祈念公園へ

南三陸さんさん商店街を見学後、次は隣接する南三陸町震災復興祈念公園へ足を運びます。
高台から街の様子や志津川湾を一望することが出来ます。



辺り一面、芝生が広がっています。

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高台から陸の方を眺めてみます。

写真中央付近に写っている黒い建物が現在整備中の南三陸町道の駅。
東日本大震災の伝承施設「南三陸311メモリアル」も併設の上、記事執筆時点では2022年10月に開業予定となっているそうです。

写真右側に写っているのが南三陸町旧防災対策庁舎(手前)と南三陸さんさん商店街(奥)。
旧防災対策庁舎は津波に飲み込まれ、階段と骨組み、アンテナが残るだけの無残な状態です。

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慰霊碑の向こうには志津川湾が見えます。
この日は最高気温が35度まで上がる厳しい暑さでしたが、青い海から吹いてくる海風が心地よく感じました。

(2022年7月3日:宮城県南三陸町志津川地区にて撮影)

JR気仙沼線の不通区間廃止後・・・

2011年3月11日の東日本大震災で被災したJR気仙沼線。
柳津~気仙沼間が長期間不通となっていましたが、2020年4月1日に鉄道としては廃止。



大震災の翌年に暫定的に運行開始されたバス・ラピット・トランジット(BRT)に1本化されています。
今月上旬、筆者は鉄道廃止後の現状を見てきました。

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JR気仙沼線の鉄道としての終点となっている柳津駅(宮城県・登米市)の様子です。
信号機や線路など、鉄道の運行に必要なものが撤去され、BRT用の道路として整備。
駅のホームも2番線が廃止され、1番線のみとなっています。

廃止が決定する前にも何度か訪れていますが、その時点ではまだ線路や信号機が残っていました。
気仙沼方面の信号機は赤(停止)信号。
停止信号を見たとき、非常に虚しくなったことを思い出します。

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柳津駅の駅名標も「陸前横山」の表記が消されています。
こういった所でも鉄道としては廃止になってしまったことを実感します。

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柳津駅からはBRTに乗車し、南三陸町方面へ向かうことにします。
登米市と気仙沼市を結ぶ貴重な足となっていて、この日も多くの方が乗車されていました。

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南三陸町に入ると、BRTの車窓から雄大な志津川湾を臨むことが出来ます。
この日は快晴で空気も澄んでおり、青く透き通るような海が奇麗でした。

※続きは次号以降へ。

(2022年7月3日:宮城県登米市柳津・南三陸町にて撮影)

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【訪問記】いわて三陸けせん希望ストリート2018(2018.10.07)

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今日は久々に都内へお出かけ。
10月6日~8日の間は三連休の方も多くいらっしゃると思いますが、この3日間で東京都・JR有楽町駅前広場で「いわて三陸けせん希望ストリート」2018が開催されています。

これは毎年行われているもので、岩手県の陸前高田市・大船渡市・住田町の観光PRや名産品の販売、三陸鉄道のPR2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(以下、東日本大震災とします)で被災された方による講演などが行われます。

筆者として、やはり一番気になったのは、実際に東日本大震災で被災された方の講演(震災語り部)です。

東京圏ではメディアで報道される機会もかなり少なくなりましたが、現実にはまだまだ多くの方が厳しい生活を余儀なくされているはずです。行方不明の方も多くいらっしゃると思います。

筆者も今年の3月、宮城県の三陸沿岸を訪れる機会(※)がありましたが、東日本大震災から7年半が経過しても、津波に流されたまま更地になっていたり、倒壊した建物がそのままになっていたりと、やはり実際に自分の目で見てみないと分からなかったことがとても多いです。
テレビやネットの報道では殆ど触れられないことが多くあるのだなと改めて痛感します。

※以下、今年3月の訪問時の記事です。
2018年3月7日投稿:【宮城県女川町】東日本大震災の被災地を訪問【2018.03.04】
2018年3月6日投稿:【宮城県名取市】東日本大震災の被災地を訪問【2018.03.03】

東日本大震災以降も一昨年の熊本地震や先月の北海道胆振東部地震、去年の九州北部豪雨や今年夏の西日本を中心とした豪雨(平成30年7月豪雨)など、多くの地域で「激甚災害」に指定されるような災害が発生しました。

無論、どんな災害も決して風化させてはいけません。ただ、この東日本大震災は大津波や火災、原発事故など未曾有の事態が立て続けに起きました。絶対に風化させてはいけない災害だったと思うのですが、実際には記憶・意識・関心の風化が進んでいるのが現実だと思います。
風化を防ぐために、せめて個人で出来ることはなんだろう?と最近、考えることが多いです。

【東京・有楽町】つながろう熊本~くまもともっと開催(2018.04.15)

2016年4月に発生した熊本地震から今月で2年となります。

2年の節目。

4月10日~4月16日の期間、東京・有楽町の無印良品有楽町店にて表題のイベント「くまもともっと」が開催されました。
現地の特産品の販売や熊本県に移住された方のトークイベント、現地の被災状況の写真展示などが行われました。

筆者は昨日(2018.04.15)、無印良品有楽町店の店舗前展示(くまもと市場)を訪れました。

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熊本の観光情報のブースです。
「名物列車で旅するくまもと」と言うことで、熊本地震で被災して現在も不通区間(立野~中松間)のある南阿蘇鉄道の紹介もありました。

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こちらは神社復興祈念の三角灯龍&獅子舞折り紙作り体験のブースで、筆者も体験させて頂きました。

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熊本県内で栽培された野菜や果物、これらを使った飲料などの販売も行われ、早々と完売する野菜などもあり好評でした。
筆者は玉ねぎとあまなつみかんのジュースを購入させて頂きました。

熊本地震から2年が経過しましたが、まだ多くの被災された方が苦労されているのが現状だと思います。

大きな災害があると、メディアで取り上げられるような有名な観光地や行楽地、被害が大きかった地域の被災状況に視線が行ってしまいがちです。
イベントのスタッフとして参加されていた方にお話を伺うことが出来たのですが、東京圏で報道される熊本地震関連の報道の内容や現地の被災状況にはかなりの乖離があると仰っていました。

熊本地震だけではありません。
多くの犠牲者を出した2017年7月の九州北部豪雨。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)も同様です。

メディアの報道や番組の内容を鵜呑みにするのではなく、実際に現地に足を運び、自身の目で現状を確認すると言うことの大切さを最近は強く感じています。

【熊本地震】災害の風化【2017.1】

今日の夜、テレビニュースを見ていたら、熊本地震からちょうど2年と言う報道がされていました。
月日の流れは早いものです。



2016年4月の熊本地震発生からおよそ9か月後の2017年1月、熊本県を訪問する機会があり、市内や益城町などを訪れたのですが、熊本城の被害や完全に倒壊してしまった家屋、半壊し屋根にブルーシートのかかった家、割れたまま放置されているコンクリートが散見されるなど、改めて自然の威力を思い知らされた次第です。

【以下、全て2017年1月、熊本県熊本市内及び益城町内にて撮影】
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2017年10月末で閉鎖されたようですが、益城町には益城復興市場・屋台村が設置されていました。
屋台村に出店されていた店舗は、現在は各店舗でそれぞれ影響されているようです。

復興、復興と言われますが、多くの被災された方が今も苦労されているはずです。
現実問題、メディアで全くと言って良いほど報道されないことも数えきれないくらいあるかと思われます。
2011年3月の東日本大震災関連の報道もめっきり減り、正直、風化されつつあるような印象を抱きますが、どうでしょうか。

「天災は忘れた頃にやって来る」と言う昔からの言葉もあります。災害の風化、筆者は危惧します。